夢野久作『ドグラ・マグラ』を読んで。

『読むと頭がおかしくなる』のキャッチコピーで読書家、又は愛読家の方々に広く親しまれている(?)夢野久作渾身の一作にして、その不気味さや構成の難解さから日本三大奇書にも数えられている変てこな本『ドグラ・マグラ(上下巻)』を、やっとの思いで読破した。
先に断っておくと、そのキャッチコピーの通りに頭がどうかした──だとか、夢中遊行状態を引き起こした──だとか、そういったような事は決して起こっていないので、まあ、安心して欲しい。
至って健康、極めて普通である。
強いて変わった事があるとすれば、キッチンや風呂場に備え付けられた換気扇の「ゴオ────オオオ……オオオ────ンン……」という音が少しばかり、恐ろしく感じるようになったくらいのものだ。

さて、前述の通りやっとの思いで読破した『ドグラ・マグラ』だけれど、しかし読破したところで「よく分からない本だった」と言う他なかったというのが正直な感想だ。
と言うのも、別にこれは途中で二、三度ばかり心が折れてしまい読むのを辞めてしまった事で何分割にもされてしまった認識達が互いに反発を起こし理解を外へと追い出してしまった事が原因というわけでは、それはない。
たといその挫折を経験せず、一から十まで通して読んでいたとしても、此処に書き留める感想の言葉はただの一文字すら変化しないだろう。
原因は単純に、作品の構成、トリックが読者の混乱を誘うような作りになっているからだ……と思いたい。キットそうだ。決して頭が変になってしまったというわけでもない。ケッシテナイ。ケッシテ。

ちなみに、トリックと言うからにはそう、ドグラ・マグラは探偵小説に分類されるそうなのだが……どうも私としては探偵小説と呼んで良いものなのかどうか判断をしかねるタイプの小説だったと言わざるを得ない。
まあ出版社はともかく、夢野久作本人、又は若林博士(作中登場人物)が『作中内に登場するドグラ・マグラという本』に対し「これは探偵小説である」と、そう名言しているのだから、キットそうなのだろうけれど……個人的にはそもそも、小説というよりも“何か論文のようなもの”を読んでいるような感覚、気分だった。
実際、作内で博士達の論文がソックリそのまま記載されている描写もあったので、的を大きく外した表現では、これはないだろう。

何かの拍子でこれからドグラ・マグラを読もうとする人の目に触れるとネタバレになってしまうだろうから、具体的な内容に就いては伏せるけれど、このドグラ・マグラは所謂いまで言うところの『ループ系』なのだろうと、私は考える。脳髄は物を考える所に非ず……けれども、私は考える……いや、私の細胞は、私の過去が……そう考える……ウーン……脳髄という表現がどうも気持ち悪いなあ……。
主人公であるところの『私』が無限のループ地獄に陥る、あるいは既に陥っている永劫地獄。然し、現代のループ物のように何処か救いがあるわけでもなければ、何かを変えられるわけでもない。巡り巡らるキチガイ地獄ウ──ッ……というのが、この読後感の何とも言えないグッタリとした気持ちの主たる要因だろう。あの、凄惨を極めたループもの『ひぐらしのなく頃に』だって最後には救われ、報われたと言うのに……これが文学と萌えの違いか。

……ちなみに先程「よくわからない本だった」と言ったけれど、然しこれは、本当の意味で意味がわからなかったわけでは……いや……それも本音だが……それよりも何よりも、この言葉がこの本に対する最高の褒め言葉なのではないだろうかと考えているからである。
構想・執筆に十年もの歳月をかけ、執筆後「この小説を書くために生まれて来た」と言い残し、その翌年に逝去されたそうなのだが……そんな命を削り、血で書き上げたような小説をこんな若造に理解されてたまるかと言うような気迫が文章からヒシヒシと感じられた。故に……と言うと若干の烏滸がましさを孕んでしまいかねないけれど、故に、この小説を一言で表すのならば「もう一度二度読まなければ理解が難しいほどよくわからない本だった」という事になるというわけだ。

──長々と書きたい、語りたい気持ちは山々だが、それも野暮だろうと思われるので書評らしい書評(はしていないけれど)はここまでとして、少し愚痴を。

これもまたネタバレ回避のためにやむを得ず暈したニュアンスでしか語れないのだけれど、皆が一度は挫折すると言う『キチガイ地獄外道祭文』の辺り。「キチガイ地獄だスチャラカチャポコチャカポコ──」と小気味の良い正木博士の歌いの箇所では挫折することはなく不思議とスラスラ読めてしまったのだが、それよりも心理遺伝の発作を誘発させたる巻物の言い伝えの文書が、どうにも読みにくかったこと読みにくかったこと……飛ばしてしまおうかと考えたくらいだったが、物語の重要な鍵になりうる……と言うか、鍵ソノモノだったために読まざるを得なかったので何度も吐きそうになりながら読んだものだ。『ドグラ・マグラ』を読み終わるまでは他の本を読まないと決めていたのが良くなかった。どうも、体調が悪い日に読めるような本ではなかったようだ。
そして、この文章内でも真似をして使っている夢野久作特有のカタカナ遣いがなければ読めなかった本のようにも思う。
「お兄様、お兄様お兄様お兄様ア──ッ……声を……一言声を……聴かせてエ──エエ……エエ──ッ」という、従姉妹を語る隣人の発狂。あそこでグッと魂を引きずり込まれてしまった。頭の中で、その音がハッキリと鳴るのがおそろしくて、首をすぼめて文字にかじりついていた。私は可笑しくなったのかと、そんな錯覚すら覚えるほど、食い入るように文字を見ていた。いや、おかしくはなってないですよ。おかしくはなってないですよ。おかしくはなってないですよ。脳髄がおかしくはなってないですよ。脳髄が。脳髄が、脳髄がおかしくは、なってないですよ。おかしくはない。おかしくは。なってないです。おかしくはなってないおかしくなっておかしくおかしくなっておかしくなっておかしくないですよ。おかしく。




『胎児よ 胎児よ なぜ踊る 母親の心がわかって おそろしいのか』

こんな怖い冒頭歌があってたまるか。