笙野頼子『なにもしてない』を読んで。


どうやら重い話というのは、軽く語れば語るほど重くなるらしい。

たしか購入自体は一月の末頃だっただろう。金欠にも関わらずタイトルに惹かれ衝動買いした一冊だったが、どうにも文章のリズムが自分の歯車に噛み合わずに読んでは閉じ、閉じては読み……といったような具合で、読むのに随分と時間がかかってしまった。
そして、かかってしまった時間分だけの満足感があったのかと訊かれれば、咳払いをしいしい首を傾げざるを得なかったと言うのが正直な所だ。

飄々とした態度で語られる″ナニモシテナイワタシ″の鬱々しい心象風景。
「お前はなにもしていない」と社会から糾弾されてしまう″ナニカシテイルツモリダッタ″自己への批判精神を、更に妄想の世界で嘲笑しながら、ドンドン社会と自分の距離を引き離していく。そして、それが罪であるかのように悪化していく接触性湿疹。
空虚の部屋に引き篭もり、ユラユラふわふわと漂っては萎み、苔のようにジッと何かを考えている。
どこか、自分にもそういった引き篭もり気質のようなものがある気がして、同じく現在進行形で罹っている原因不明の湿疹が生み出したササクレのような手の皮を剥いては考え、クリームを塗り直したりしていたのは……いやはや、笑えない話だ。
最終的に″ナニモシテナイワタシ″は皮膚科へ行くことで僅かながらも外界との繋がりを取り戻し少しずつ社会復帰していくわけだが……なんだろう。読みながらズット思っていたのは『よくこの人、自殺しないで生きてこれたなあ』という感想だった。
最後までそれしかなかったと言ってもいい。あるとすれば″前衛的な鬱のススメ″を読んでいるようだったという話くらいだ。
それほどに、どこまでも軽々しく、果てしなく重々しい小説だった。

文学賞三冠達成を成し遂げている笙野頼子氏の表現力は、それはもう素敵に素晴らしいものだった。
読書中に何度も溜息を吐いては感心したが、このひとのカタカナの使いかたというか……使いどころがあまりにも苦手すぎた。その一文を見るだけでゲンナリしてしまったのは事実だ。単純に合わなかったのだろう。
ここで、自分に合わないものは良くないものだなんて事を言うつもりはないけれど、少なくとも、自分の友人にオススメしようとは思えなかった。
併録されている『イセ市ハルチ』についても、上と似たような感想しか抱けなかったのでワザワザと書くことはないだろうと思う。
嫌いと言えるほどまで彼女の事を知らないにしても、暫くはこの作家さんの本を読むことはないだろう。
また、少し大人になったら読み返してみよう。