吉村萬壱『ボラード病』を読んで。

アレッ……今回はずいぶん早めの更新になっているかと思いきや、もう前回の読書感想から一ヶ月も経ってしまっているんだね……。イヤ、例のごとく読書はしているんだよ。ただ、感想が書きづらいものばかりでね……これは前回も少し話したけれども、ミステリーが多かったりするものだからどうしても、ね。
マア、そっちのジャンルも書こうと思えば感想くらい書けないでもないんだけれど、「ヤラレタ!」くらいで終わってしまう可能性が高いから差し控えているわけだ。
ただ、今月は更新のペースが若干ばかり速くなるかもしれない。何せ金なしの身だからね、本を読むくらいしかすることがないんだよ。ハハハ。だから、出来るだけ書ける感想は書いていこうと思っている。
基本的には『オススメ』という意味でね。

はい。

吉村萬壱『ボラード病』だ。
とある人にこの作家さんの別の本を薦めてもらってね、先週の日曜日に古本屋まで車を転がしていったんだけれど、残念なとにお目当ての『臣女』は在庫がなかったみたいでね……。「ならば同じ作者の別の本を」と思いこの『ボラード病』を手に取ったわけだ……それが鬱時間の始まりだった。

あらすじはこうだ。

『大栗恭子』という少女の回想という形で物語は動き始める。舞台は『B県海塚市』過去の災害から復興しつつある海沿いの田舎町だ。
心をひとつに重ね、絆で結び合い、再び立ち上がろうとしている海塚の住人達は『郷土愛』を叫びながら地元で採れた"安全な野菜"や、"新鮮な魚"を食べ、そして次々に人が死んでいく。

という……ね。もう、ど頭から不穏な空気が漂いまくりの小説なんだけれども……なんというか、ひたすらに気持ち悪かったね。
残虐表現こそ無かったけれど、終始目を逸らしたくなるような気持ち悪さ、また、怖さがある小説だったように思う。
故障した蛇口から零れた水滴で「トッ、トッ、トッ」と肩が濡れていくようなキモチノワルイ感覚って言うのかな……。
ちょっと本当にキツかった。
『絆』または『結び合い』という皮を被った同調圧力。集団心理。直視できない(したくない)現実から逃避し続けた末の狂気。
少しだけネタバレになるかもしれないけれど、これは『東日本大震災』、そして『原発事故』が"元になった"ディストピア小説なんだよね。いいかい……間違って認識してはいけないよ。"元になった"だ。
あくまでも寓話。物語だ。現実を思わせる架空の世界のお話だ。

『ちゃんと自分の目で見て、ちゃんと自分の頭で考えないと、いつかこんなクルッタセカイが現実になっちゃうかもしれないぜ』
なんて言われているように私は感じたね。マア、本の読み方は自由だ。
いとうせいこう氏が解説という名目で小難しいことを言っていたけれど(このオジサン本当にどこにでも出てくるよね)、なんだかよくわからなかったから飛ばした。失礼かもしれないが、別にこの人の解説が読みたかったわけじゃあないからね。

イヤ……確かに、"ドウチョウ"しているのって楽なんだよ……自分は考えなくていいんだから。圧力をかける側に回れば、そりゃあ心地よくて楽だろうさ。
このブログだって、『ボラード病』が刊行されてからかなり時間が経ってから書いているわけだから、ネットにゴロゴロ転がっているレビューに同調して「オーウェル1984が云々のファシズムが何だ」とかって小難しいことを言ってればいいんだから……イヤイヤ、こんなに楽なことはないよ……と、こんなふうに考えてしまう私は……そうだね、いわゆる"ボラード病"なのかもしれない。

仮にこのブログで書いていることが他所で同じように語られていたとしても『他と同じ意見を持つ』ことと『他と意見を同じにする』では、全然その意味合いが違うんだよね。
ウンウン。なんだか、小説に説教されたみたいな気分だ。
是非、鬱々しい気分になりたいときに読んでみるといい。オススメだ。

え? それが感想かよって? 
そんなことを言うならネタバレ抜きで感想ブログ書いてみろよ臆病者。


なーんてね。
わりと今回はネタバレが多かった気がしないでもないけれど……イヤハヤ、とんでもない作家さんを教えてくれたものだよ。ほかの作品も買わなければならなくなってしまった。
聞くところによると、この作品は吉村萬壱さんの作品の中では結構穏やかなほうらしいからね……もっとドギツイ、人を文字で刺し殺すような本があるのだろう。とても楽しみ。
次は『臣女』かな。