赤松利市『ボダ子』を読んで。

本が泣いていた。
叫び声をあげながら、「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ」と、懺悔するように泣いていた。そんなふうに思った。これは初めての感覚だった。
これが、『ただの物語』だったのならば、私はどれほど救われた気持ちになるだろう。
これが、『知らない世界で起こった出来事』だったのならば、私はどれほど気持ちが楽になるだろう。
悲劇なんてものじゃあない。惨劇すらも生ぬるい。脳の裏面にこびりついたトラウマが全身を駆け巡り、全ての感覚を奪っていく。涙なんて流れない。最後に残るものなんて何もない。教訓も、学びも、満足感もない。あるのは、底の見えない絶望と、無限に広がり続ける虚空。腹の奥で蠢く吐き気だけがひとつ、現実に感じられるものの全てだ。
正直に言おう。
ここに書く以上、これは感想文でもあり、紹介文でもあるのだけれど、この『ボダ子』という小説を、少なくとも私は、軽い気持ちで人に薦めることが出来ない。面白い面黒いの話ではなく、単純に薦めていいものなのかどうか判断しかねる、という意味でだ。
友人に「これ、読んでごらん」なんて言えるような本じゃあ、まずないんだ。それでも気になると言うのであれば、ならば、覚悟を決めて私もこの先を語ろうじゃあないか。


赤松利市『ボダ子』
前回このブログで感想記事を書いた『藻屑蟹』で第一回大藪春彦新人賞を受賞した赤松利市氏の長編小説四作目だね。凄まじい刊行スピードだけれど、その速筆も然る事乍ら、内容もまた、やはり凄まじかった。

あらすじ

あぶく景気、所謂バブルで大金を掴むことに成功した大西浩平は、その後も順風満帆な人生を送っていた。事業や女関係、全てが上手くいっていた。しかし、愛娘が中学校に進学してすぐ、幸福だった浩平の人生は音を立てて狂い始めた。娘が境界性人格障害(通称・ボーダー)と診断されたのだ。親の目の前でリストカットを繰り返す娘。発狂する母親。やがて東日本大震災が起こり、浩平の事業は破綻した。「なんとかなる、なんとかなる」再起するために愛する娘を連れ被災地へと飛び、土木作業員として働き始めた浩平を待ち受けていたのは過酷な労働に反する絶対的な貧困と、苛烈な虐め、娘の障害に対する認識の甘さだった。赤松利市氏の実体験をもとにした悪夢のような問題作。私は『あの町』で娘を見殺しにした──。

と、まあ、こんなところかな。
ほとんど公式のあらすじ丸パクリみたいな感じになってしまったけれども、これは仕方ないだろう。引用よりも少し手が込んでいると思って勘弁して欲しいところだ。
さて、感想なんだけれど……。
"唖然"の一言に尽きるね。
ウーン、これは本当にキツかった。せめてもの救いは、この小説が三人称視点で書かれていたことくらいだろうか。それ以外に救いがないというのはあまりにもあまりな話だけれど……それでも事実、それ以外に縋る藁が見つからなかった。ただでさえ気持ち悪くなりながら読んでいたのに、これが一人称視点で語られていたら耐えられなかっただろうね、たぶん私は。
作者自身、一人称視点では書けなかったんじゃあないかな。『実体験をもとに』という事だから、どこまで脚色が入っているのかは読者が想像する他ないんだけれど、ウーン……相当苦しみながら執筆したんじゃあないかな。こんな悪夢を『わたし』視点で書き続けたら精神が持たないだろう。

大西浩平という主人公はクズだ。
どうしようもなく、どうしようもない。ネグレクト、度重なる不倫、嘘。何よりも、自分がクズであることを自覚していないのが厄介なタイプのクズだ。少し意地悪な言いかたをすれば「俺はこれだけ頑張っているのに」なんてことを言えてしまうだろうタイプのクズだ。
報い、とまで言うのは流石に酷だとしても、自業自得と言えば、まあ自業自得だろう。その業に周囲の人間を巻き込んでしまっているのだからどうしようもない。……けれど、運命の荒波に飲まれ絶望の渦に引き摺り込まれていく浩平とボダ子の人生に同情心を抱かずには、やはり、いられない。
可哀想、という気持ちがより強く動くのはボダ子だ。個人的な話になるけれど、ボダ子と同じくネグレクトで境界性人格障害を背負ってしまった少女が古い友人にいるせいか、よりリアルにその悲劇を実感してしまったというのが大きいだろう。
育児放棄、育児怠慢、ネグレクト。
表立って描写されている悪夢は、浩平の見た悪夢だけれど、その裏で藻掻くボダ子の苦しみを思うと今でも胸が張り裂けそうになる。お父さんのそばに居たかっただけなのに、寄り添って貰えなかったから誰かに寄り添いたかっただけなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。最後に放ったボダ子の一言が、刺すように痛かった。

本を読み終えたあと、ふとカバーを外して感じたことも、ここに書いておこう。
たぶん、一般的に「ボーダー」と言われて想像する二種類の色は、白と黒だろうと思う。きっとそういう仕掛けが施してあるのだろうなと思いながら、私はカバーを外した。
カバーを外して裸になった『ボダ子』は、確かに間違いなく予想通りのボーダーだった。けれど、背中の黒一色に対して、表は白とは全然違う色だったんだよね。これには思わず声が出た。深読みし過ぎかもしれないが、そこでまた胸が苦しくなった。

と、ここまで書いてきたけれど、あなたがここまで読んでくれて『ボダ子』が気になったのであれば読んで欲しい。冒頭で「簡単には薦められない」と言ったけれど、ここまで興味を持って読んでくれたのであれば、ぜひ読んで欲しい。簡単な気持ちではない。読んで欲しい。きっといい気分にはならない。スッキリもしない。前述の通り、最悪な胸のざわめきが残り続ける正真正銘の問題作だ。けれど、だけれど、この本を、このトラウマを知って欲しい。反面教師としてでもいいんだ。教訓ではないにしても、こういう現実が世界には存在するのだということを知って欲しいと、私は心から思った。

うん。
いま、とても苦しい。