吉村萬壱『臣女』を読んで。

不条理。不憫。不潔。
人の愛という物が、一体どれほど醜く愚かしいものであるか、そしてまた、どれほどに儚く美しいものであるか。そんなことを残酷に、切り刻むように教えてくれる小説。もしも誰かに「純愛とは何ぞや」と問われれば、私は第一にこの小説、『臣女』を手渡し読ませるだろう。

あらすじ。

主人公の不倫が原因で妻が巨大化していく。罪悪感に苛まれた夫は、骨を鳴らしながら異形の者へと姿を変える妻を世間の目に触れさせぬよう献身的に介護するが、日に日に巨大化していく妻が摂取する食糧は人間が必要とする重量を軽々に超え、また、排泄の量もそれに比例して増えていった。高校の非常勤講師で小説家業をする主人公。増える食費。汲み取り式の便所。炸裂する大量の糞尿。異臭。いつしか妻の存在を隠しきれなくなった主人公は、あるひとつの決断を迫られて──。

と……毎回あらすじを語るのが下手で申し訳ない限りではあるが、マア大体こんな感じだろうと思う。
カフカの『変身』を思い出させる不条理さだ。この臣女の場合は、巨大化した妻の奈緒美がグレゴール・ザムザだ。そして、奈緒美は毒虫ではなく、人間が、人間の形のまま、巨大化していく。異形化していく。
まあ、そりゃあ、食べる量も増えれば、必然的に出す量も増えていくわけだが……その描写が汚らしいのなんのって……。
吐瀉物、糞尿、寄生虫、謎の痰。
文字から臭気が漏れ出していると表現して差し支えないだろう、これは。とにかく臭いし、汚い……。吐き気を催すほどの臭いが、この本からは漂ってくるんだ。いま、これを書いていて吐きそうだもの。
だから、あまり人に「ハイ、ドーゾ」と薦めたい本ではないんだよね。特に、綺麗なものだけを見ていたいと願う現実逃避系の意識高い女史には絶対に薦められない。いや……高慢ちきの鼻を折るという意味で薦めたい気持ちがないわけではないけれど……それでもチョットこれは難しいんだな。
人に嫌われたくないという自己防衛本能が過剰に反応してしまう。ウン……こう言うと吉村先生には失礼かもしれないけれどもね……。
しかし、そのリアルな汚らしさや臭さが、一見ファンタジーのようにも思える『妻が巨大化していく』という設定を現実側へとググイと引き寄せているのは事実なんだよ。
だから非常に難しい。
摂って出す。それは人として当たり前のことだ。どんな美女でも、どんな美男子でも、喰えば出す。臭くて汚い糞尿を炸裂させる。具合が悪ければゲロを吐き散らす。それを放置すれば虫が湧く。当然だ。
『所詮人間は一本の管なのだ』という一文。
まさしく、その通りである。グウの音も出ない正論だ。その厳然たる事実を、真実を受け止めた上で人を愛するということが、どれほどに難しいことか。
恋では無理だ。
愛でなければ、それは無理なことなのだろう。想い人の糞便に塗れても、その人を愛することが出来るか。一番穢らわしいものを見せ付けられても、側にいることが出来るか、支えることが出来るのか。
この小説のテーマは『介護』、そして『愛』だ(と思っている)。
だから……というわけではないが、これは、男性よりも女性に刺さりやすい小説だろうと私は思った。前述したように、あまり綺麗な本ではないから世に広く、大声で薦めたい本ではないけれど、せめて知人の女性にはぜひ薦めたいと思った一冊だ。
一応保身のために言っておくと、これは何も『介護は女性がするもの』という偏見の眼差しから言っていることではなく、現実的に、『介護』というものは現代に至ってもなお、男性よりも女性の身近に存在するものであるという『どこまでも現実的な事実・悪しき風習』を鑑みた上での意見だからね。
正直、男性には刺さりにくいだろう。介護というものを身近に感じている人でなければ、あまり理解の出来ない話だろうと思ったからね。
とは言え……とは言え、だ。
私には痛く刺さった。別に介護が身近にあるわけでは今のところないけれど(私は愛すべき人の汚物になら平気で触れるタイプの人間だからかもしれない)、何故だか酷く刺さった。痛い。
随所随所で織り成されるシュールなギャグが、その悲壮感をより一層際立てていて、自分の顔が苦笑を漏らす度に現実世界へとズブズブ引き戻される感覚が堪らなく辛かった。
なんど本を閉じたかわからない。
読むのにとても時間がかかった。
けれど、開くたびに広がる無情さが私の心臓を掴んで離さなかった。糞尿の臭気が、鳴る骨の音が、苦しむ奈緒美の呻きが、主人公の空虚さが、私を妄想の世界と現実の世界の狭間から逃してはくれなかった。気付けば読み終わり、打ちのめされていた。
この『臣女』、有名なTV番組アメトークで推薦されていたらしいけれど、それも頷ける。凄まじい魔力だ。光浦靖子女史がこの本を読んでいたのは意外だったが、その反面、光浦女史がこの本を激しく推していた理由も、いまでは理解出来るのだから不思議だ。
愛することとは、どういうことか。
性欲と愛の違いとは何なのか。
今一度、考え直してみたいと思わせてくれた。
ぜひ一度、読んでみていただきたい。迷っているなら、なおさら。

好みの話になるけれど、私はこの吉村先生の文体がとても好きだった。心地のいいリズム、身体に馴染む言葉のリズム。
私が小説を読むときに重視するところというのは、内容もマア、そりゃあモチロンなのだけれど、この『リズム』というのが非常に重要で、これが崩されると全く読めない。目が追い付かなくなってくるのだ。
その点に於いても、この『臣女』はとても優秀で、気持ちよく読めた。
文字を音として捉える癖があると言うのかな、文字そのものが気持ちいいと感じる性癖があるので、そこは結構重要なんだ。ハハン。気色悪い事を最後に言ってしまったね……アルコールが回ってきた。そろそろここらで縁もたけなわ、お開きにしようじゃあないか。
気になれば、ぜひ。