吉村萬壱『ボラード病』を読んで。

アレッ……今回はずいぶん早めの更新になっているかと思いきや、もう前回の読書感想から一ヶ月も経ってしまっているんだね……。イヤ、例のごとく読書はしているんだよ。ただ、感想が書きづらいものばかりでね……これは前回も少し話したけれども、ミステリーが多かったりするものだからどうしても、ね。
マア、そっちのジャンルも書こうと思えば感想くらい書けないでもないんだけれど、「ヤラレタ!」くらいで終わってしまう可能性が高いから差し控えているわけだ。
ただ、今月は更新のペースが若干ばかり速くなるかもしれない。何せ金なしの身だからね、本を読むくらいしかすることがないんだよ。ハハハ。だから、出来るだけ書ける感想は書いていこうと思っている。
基本的には『オススメ』という意味でね。

はい。

吉村萬壱『ボラード病』だ。
とある人にこの作家さんの別の本を薦めてもらってね、先週の日曜日に古本屋まで車を転がしていったんだけれど、残念なとにお目当ての『臣女』は在庫がなかったみたいでね……。「ならば同じ作者の別の本を」と思いこの『ボラード病』を手に取ったわけだ……それが鬱時間の始まりだった。

あらすじはこうだ。

『大栗恭子』という少女の回想という形で物語は動き始める。舞台は『B県海塚市』過去の災害から復興しつつある海沿いの田舎町だ。
心をひとつに重ね、絆で結び合い、再び立ち上がろうとしている海塚の住人達は『郷土愛』を叫びながら地元で採れた"安全な野菜"や、"新鮮な魚"を食べ、そして次々に人が死んでいく。

という……ね。もう、ど頭から不穏な空気が漂いまくりの小説なんだけれども……なんというか、ひたすらに気持ち悪かったね。
残虐表現こそ無かったけれど、終始目を逸らしたくなるような気持ち悪さ、また、怖さがある小説だったように思う。
故障した蛇口から零れた水滴で「トッ、トッ、トッ」と肩が濡れていくようなキモチノワルイ感覚って言うのかな……。
ちょっと本当にキツかった。
『絆』または『結び合い』という皮を被った同調圧力。集団心理。直視できない(したくない)現実から逃避し続けた末の狂気。
少しだけネタバレになるかもしれないけれど、これは『東日本大震災』、そして『原発事故』が"元になった"ディストピア小説なんだよね。いいかい……間違って認識してはいけないよ。"元になった"だ。
あくまでも寓話。物語だ。現実を思わせる架空の世界のお話だ。

『ちゃんと自分の目で見て、ちゃんと自分の頭で考えないと、いつかこんなクルッタセカイが現実になっちゃうかもしれないぜ』
なんて言われているように私は感じたね。マア、本の読み方は自由だ。
いとうせいこう氏が解説という名目で小難しいことを言っていたけれど(このオジサン本当にどこにでも出てくるよね)、なんだかよくわからなかったから飛ばした。失礼かもしれないが、別にこの人の解説が読みたかったわけじゃあないからね。

イヤ……確かに、"ドウチョウ"しているのって楽なんだよ……自分は考えなくていいんだから。圧力をかける側に回れば、そりゃあ心地よくて楽だろうさ。
このブログだって、『ボラード病』が刊行されてからかなり時間が経ってから書いているわけだから、ネットにゴロゴロ転がっているレビューに同調して「オーウェル1984が云々のファシズムが何だ」とかって小難しいことを言ってればいいんだから……イヤイヤ、こんなに楽なことはないよ……と、こんなふうに考えてしまう私は……そうだね、いわゆる"ボラード病"なのかもしれない。

仮にこのブログで書いていることが他所で同じように語られていたとしても『他と同じ意見を持つ』ことと『他と意見を同じにする』では、全然その意味合いが違うんだよね。
ウンウン。なんだか、小説に説教されたみたいな気分だ。
是非、鬱々しい気分になりたいときに読んでみるといい。オススメだ。

え? それが感想かよって? 
そんなことを言うならネタバレ抜きで感想ブログ書いてみろよ臆病者。


なーんてね。
わりと今回はネタバレが多かった気がしないでもないけれど……イヤハヤ、とんでもない作家さんを教えてくれたものだよ。ほかの作品も買わなければならなくなってしまった。
聞くところによると、この作品は吉村萬壱さんの作品の中では結構穏やかなほうらしいからね……もっとドギツイ、人を文字で刺し殺すような本があるのだろう。とても楽しみ。
次は『臣女』かな。

赤松利市『らんちう』を読んで。

ン……ンン……どういったことだろう……年が明けているような気が……ンン……ン……、かなり少なくはあるけれども週に一冊くらいは小説を読んでいるはずなのだが……読書感想文を書いていない……ハハ……アケオメ……。

言い訳をさせてほしい。
いやね、最近はミステリばかり読んでいたというのが理由のひとつではあるんだよ……。ああいったジャンルのものは「面白かった」あるいは「つまらなかった」で終わって良いものだと私は考えているからね。
そうだろう、アレは犯人、または真相がわかるまでが楽しいものなんだから。
古い作品であろうと、未だ読んでいない者があるミステリーのネタバレを大声で書き記すのはタブーだからね……例えそれが、こんな小さな、誰が見ているのかもわからないようなブログであっても、だ。
書けるとすれば、粗筋くらいのものだ。
とは言え、それだけが理由の全てというわけでもないんだよ。
これは個人的な理由になるけれど、実は私、他の場所でもブログを書いていてね……あまり文字を書きすぎると足りん脳がオーバーヒートを起こしてしまうんだよね。ハハ、物書きの人とは根本的な脳の作りが違うのだろう。それに時間もない。
……マア、単に面倒くさかったというのが主な理由ではあるんだけれども……。

と、サテ。
本題に入ろうじゃあないか。

赤松利市『らんちう』だ。
私はこれをとても楽しみにしていたんだよ。
『藻屑蟹』を読んでからというもの、赤松さんの書く現実(リアル)に酷く魅入られてしまってね。鈍器でガアンと殴り付けられたようなあの衝撃を受けて以来、ズット脳が揺れているような、そんな感覚だったんだよ。

そして『鯖』に続く今作はクライムノベルとのこと。
犯罪小説というやつだね。
とは言え、冒頭でチョット話したけれど、私はミステリの感想文は基本的には書かないことにしている。
クライムノベルと言えば、ミステリのジャンルに入るはずなんだけれど、これは先に言っておかないと後で大変な勘違いをしてしまう人があるかもしれないからね。
いいかい、この『らんちう』は、ミステリーではないんだよ。

帯なんかには「犯人は、ここにいる全員です」なんていう、いかにもミステリーファンが食いつきそうな惹句が書いてあるけれど、ところがどっこい! というわけだ。
私も最初は「赤松さんが書くクライムノベル……コイツはとんでもないミステリーになるんじゃあないか」なんて色めき立ったものだけれど、これはミステリーみたいな、そんなエンターテインメント性のある作品とは言いづらいね。裏テーマなんてとんでもない。真っ向正面からシリアス一辺倒な社会小説だった。

粗筋はこうだ。

『リゾート地に建つ旅館の総支配人であるキモデブマザコンファッキン糞豚野郎が、至って真面目な従業員(中には不真面目な者もあるが)六人の手によって絞殺された。警察で取り調べを受ける犯人達の独白で物語は進んで行くが、どうにも犯行の動機……つまりは殺意の在処がハッキリとしない。
豚のワンマン経営や、徐々に明らかになっていく過重労働……そして、社員が参加していた怪しげな自己啓発セミナー。犯人やその他従業員達の供述から浮かび上がる事実、醜い奇形の金魚《ランチュウ》のようなグロテスクな真相とは──』

と、こんな感じなんだがね。
イヤ、これは帯に書いてある粗筋を少しだけ弄ったものなんだけれど……流石に元の文章をそのまま使うというわけにもいかないからね。
マア……うん、そうだね……。

これもう、ミステリーじゃなかったらビックリするよね!!

あれだ。
『帯でミステリーだと思い込ませておいて、内容はミステリーではなかった』という類の叙述トリックだとでも思えばいい。はい解決。

ウーン……真相が明らかになっていく様はミステリーと言って言えなくはないんだろうけれども、かと言って終盤にどんでん返しがあったりするわけじゃあないんだよ。
だから、これから『らんちう』を読む人には、これをミステリーだと思って読まないで欲しいんだ。そう思い込んで読んでしまうと、味がしないガムを噛み続けているみたいな気分になってしまうと思うからね。

社会批判。
いや、赤松氏の嘆きとも取れるのかな。
今の世の中は何かがオカシイ。
いわゆるロスジェネ世代(現在40~50歳くらいの世代だね)と呼ばれる、非正規雇用を転々とする人間達の"目には見えない"相対的貧困
搾取され、消費され続けてもなお、その現状に甘んじている彼らに「これが現実なんだよ!目を覚ませ!」と叫んだ小説と言うのかな……イヤ、実際、私のような学のない人間には、そこまでは測りかねるがね。
とにかく痛烈だった。
私は全然ロスジェネ世代に掠ってすらいない年代の人間だけれど……とても痛かった。
何が痛かったのか、どこが痛かったのかはわからない……けれど、最後の一ページ。余白の白さが目に飛び込んできた瞬間、火に焼かれる虫のように身体を捻り回したくなるような不思議な痛みが襲ってきた。
言葉にならない気まずさ、堪らなさが全身を支配した。
声も出していないのに横隔膜が震えているように感じた。
粗筋にも書いたけれど、『怪しげな自己啓発セミナー』ってのがあってね、うん、洗脳って言うのかな。
受講者の自己・自我を喪失させたのち、新たな思想・思考を植え付けるっていうね……。
これを見たときに私、『現実を生きている社会人は、このセミナーを受けるまでもなく同じ思想・思考を持って生活しているじゃあないか』なんて思ったんだよ。そうでなくとも、こういうセミナーというものは実際に存在する。それに洗脳されている人も。
イヤ……もはや、日本という国自体がマインドコントロールに掛かっている状態と言って言えなくはないだろう。
それが堪らなく怖くてね。
まるで幽霊の出ないホラー小説のようだった。

私自身の話になるけれども、こういうのが嫌で自己啓発本は読まない主義でね……。イヤ、読んでいる人達を批判するわけじゃあないよ? けれど、怖いとは思わないのかな、とは思う。誰かの考え方を自分に植え付けられる怖さ。生き方を、行き方を人に示されるキモチワルサ……。
だから私は、基本的に小説しか読まないんだ。
なに、これはあくまで、個人的な考えかただからね、気にしないでくれ給えよ。


ところで、読者諸君はこの本のタイトルにもなっている『ランチュウ』という金魚を知っていたかな。
恥ずかしながら私は知らなくてね……金魚は昔から苦手なんだよ。
それが『グロテスクであればあるほど上等、高価な金魚』だと言うのだから……金魚嫌いにはタマッタものではない。
昔で言うところの『キモカワ・ブサカワ』みたいなものなのかね……。
フフン。
そのグロテスクな肉瘤を持つ怪金魚ランチュウになるのは、いったい、これを読んだ者の内の誰なのかな?


というわけで、読書感想文というか宣伝みたいなものだね、これはもう。
是非、色んな人に読んでいただきたいんだよ。
ミステリーとして読みさえしなければ、文章の巧さは言うまでもなく、単純に面白い。そして。とても考えさせられる作品だ。
いいかい。これを読んでいる君がどの世代であっても、だよ。
装丁も素敵に洒落ているから、是非是非手に取ってみていただきたい。


〜余談〜

赤松氏、60歳を超えてらっしゃるのだけれどね、稀に作中で若者がよくいうネットスラングを使っていたりするんだよ。
テヘペロ」なんて文字を見た時は、失礼ながら「語彙の選択可能域が広すぎる」なんて吹き出してしまったよね。
ハハン。

赤松利市 『鯖』を読んで。

ヒイヒイ、こりゃあ参った……三日坊主にも程があるってもんだ。
最後にここで読書感想文を書いてから既に四ヶ月も経っているなんて……イヤイヤまったく、思いもしなかったよ……。
なに、言い訳をするという事じゃあないんだが、その間に全然本を読んでいなかったという事はないんだよ。量は少ないにしても一日に数時間……ない時は数分……数秒……と、マア、とにかく読書はしていたんだよ。
ただ、書くまでもなかったと言ったら、これは失礼になるかもしれないけれど、実際、ここで書かなければならないほど厚みのある本を読んでいなかったんだ……ページ数の厚みも、内容の厚みも。
イヤ、短篇ばかり読んでいたという事ではないんだけれど……そう、ライトな物はライトな場で……とでも言おうか。お得意のツイッターなんかで事が足りてしまっていたんだね。
しかしこれは裏返せば、ここにこうして感想文を書いているという事は、このたび読んだ『鯖』にはそれだけの厚み、面白さがあった……という証明になるわけなんだから、この長ったらしい言い訳も、その前置きとして勘弁して欲しいところだ。ハハハ。

サテ、本題に入ろう。
『鯖』の話だ。

タイトルからだいたい察せられるとは思うけれど、これは漁師の物語でね……主人公の水軒新一(ミズノキシンイチ)を初めとする時代錯誤とも言える荒くれ者の一本釣り漁師たちのもとに中国美人のビジネスウーマン(通称アンジ)が現れて、『ヘシコ(青魚を塩漬けして更に糠漬けにした発酵食品)ビジネス』を共にやらないか? という話を持ちかけてきた。
聞いてみるとそれは、毎年貧乏生活を強いられていた漁師たちにとってコレ以上、またとない儲け話……ビッグチャンスだった。
しかし船団の中には、一本釣り漁師としての誇りを簡単には棄てられない、この狗巻南風次(イヌマキハエジ)に鯖なんぞという下魚を釣らせるつもりか、などという者も居り、一悶着も二悶着もあったがそれまで魚を卸していた『割烹恵』の女将、枝垂恵子(シダレケイコ)からの推しもあり、女将に想いを寄せる船頭、大鋸権座(オオノコゴンザ)率いる船団は『ヘシコ鯖事業』というビッグビジネスに着手することになったが、ドウモ話はキナ臭い方向へと船足を進めていく……。

というのが、大まかな粗筋なんだが、私はココで嘘は吐かないと決めているので正直に、一番最初のページを捲って『主な登場人物』の項目を見た瞬間の気持ちを先に言っておこう。

水軒新一(三十五歳)
大鋸権座(六十五歳)
加羅門寅吉(六十六歳)
鴉森留蔵(五十六歳)
狗巻南風次(五十五歳)


「オ、オ、オ……オジイチャン世代〜〜〜〜〜ッッッ!しかも漁師〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!全然興味が湧かねえ〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!」


イケナイイケナイ、思わず素が出てしまったね……。
イヤ……けれどこれは多分、私たち世代の人間が見たらキット同じような反応になると思うんだよ……なんと言っても平均年齢が五十歳オーバーなんだからね。
しかも漁師の話と来たもんだ。
前作『藻屑蟹』を読んでいなければ、私は間違いなく読まなかっただろうね……表紙や強烈なキャッチコピーが目を引くだけに手に取りはするだろうけれど、千七百円という結構な値段を見たらウーンと唸りつつ元の棚に戻してしまうだろう。

……そして、後悔をすることになっていたのだろう。

確かに、金がない人間には少しばかり高い本だった。運良く自由に使える小遣いが手に入ったからよかったものの、貧窮に喘ぐ文学少年・少女には手を出しにく価格帯である。
しかし、その金に見合う価値を、本書は持っていたと、私は声を大にして言うことが出来る。
途中までは、人見知り(女性恐怖症)の主人公シンイチの成長譚なのかと思い思い眺めていた文字の海は、次第に波風を立て始め、青かったはずの水面がどす黒い、コールタールのような色に変化していった。
ススイと泳ぎ切ってしまえると思っていた白昼の浅瀬は、いつの間にか暗い夜の海へ。波に飲まれるよう……引き込まれるように没入していく感覚は、控えめに言っても心地の良いものではなかったが、一行一行を読むたびに補完される磯の香りとアンモニアの悪臭。飛沫をあげて飛び散るオゾマシイ″ナニカノ塊″が脳髄の中で映写されていく戦慄は、さながら、なにか一本の映画を観せられているような気分にさせられた。
いつの世も、人を狂わせるのは色と金である。
コンプレックスの皮を剥ぎ取った下に見えたのは、厚く醜い、″我欲″の肉塊だった。

後半あたりから、若干グロテスクかつ下品な表現が見られるけれど、私が想像していたグロテスクさよりはいくらか大人しいものだったように思う……。苦手な人は苦手なものなのかな。ハハハ。
前作の純文学的物語と比較してみると、どうなんだろうね。登場人物達の漫画やアニメじみた苗字・名前も相まってか、だいぶん大衆小説寄りというか……″不思議と読めてしまう″と言った感じだったように思われるが、見えかた、読みかたは自由だからね。明言は避けようじゃあないか。個人的には、単純に面白かったとだけ言っておこうかな。フフン。

イヤイヤ、それにしても……それにしてもだ。
赤松利市、初の長編小説『鯖』。
小説界もコレはとんだ大物を釣り上げたというもんだね。ハハハ。
そりゃあ千七百円もするわけだ。
次に本を買う余裕が生まれるのが何時になるのかは全然にわからないけれど、赤松先生の次回作が出たらキットすぐに買ってしまうんだろうね、私は。

糞っ──。

羽 田 圭 介 『 黒 冷 水 』を読んだ。

せわしなく日々を過ごしていたらオヤオヤ、読んでから随分と時間が経ってしまったようだ。ハハハ……ままならないものだよ、本当に。やれやれだ。
一ヶ月くらい経ってしまっているんじゃあないかな……その間、読書も出来ていなかったと言うんだから……まったくやれやれだよ。
……サテ。今回読んだのは2015年度に『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞を受賞した羽田圭介氏のデビュー作『黒冷水』だ。
私自身、テレビをあまり観ないもので、そこら辺は全然詳しくはないんだけれども、どうやら同時受賞者である又吉直樹氏よりもよっぽど強靭な癖の持ち主らしく、バラエティ番組なんかでも大変人気のある作家さんらしいね……多彩な人ってのは居るんだね。ハハ……その多彩な作家さんが17歳の時に書いた小説『黒冷水』だ。
17歳だゼ……私が17歳の時なんて、何をしていただろう……まだヨチヨチ歩きだかハイハイだかをしていたような記憶しかないね。
……そんな事は置いておいて、内容のほうはと言えば、なんと言うかな、マア有り体に言えば兄弟喧嘩と言うか、『兄弟バトル』だね。イヤ、バトルものとは言いづらいと言うか……それはまた違うんだけれど、これを喧嘩と言うには少し違和感があるのだから仕方ない。
兄の部屋を漁ることに変態的な悦びを感じる弟・修作と、その弟の部屋漁りにウンザリして何とかそれを阻止しようとする兄の正気(まさき)。
プライバシーは守られるべきものであり、誰であろうと、家族であろうと、それを侵害するのは決して許される事ではない。しかし、見方によってはどこの家庭でも『よくあること』であり、そんな目くじらを立てて怒るほどのことでもない……というのが、このテーマの面白さだろう。
私も三つ年の離れた姉がいるのだけれど、中学生の頃に似たような事をしたしされた経験がなくはない……姉の持っているエロ本(BL同人誌)をコッソリ読み漁っていた時期があったし、姉がそれを察知して隠し場所を変えられた事もあった。
だからという訳ではないけれど、この小説をよりリアルに感じたというのは多分にあるね。
当時の姉の中にも黒くて冷たい水が流れていたのかと思うと反省することしきりだよ……。報復がなかったのは救いだよね、うんうん。
ああ、そう。これは一人称視点の小説なんだけれども、章ごとに兄弟の視点が入れ替わるという中々トリッキーな構成になっていてね……そこからも羽田圭介氏の才能を感じざるを得なかったね。
一人の一人称視点だけでも難しいというのに、その視点をアッチ行ったりコッチ行ったりと……やはり賞作家は若い内から実力が違うよね。
とは言え、当時まだ17歳だ。
正直なことを言えば、ラストの《黒冷水》は、『面白い事をしようとした感』があったように思う。狙い済ましているというか、若いなと思ってしまったのは本当の話だ。
そういうオチじゃあなくても良かったのでは? と、偉そうなことを言ってみたりね、ハハ。
どの小説に対しても「面白い」の一点張りじゃあ書き甲斐がないじゃあない。
と言いながら、とても面白かったんだけどね。読む手が止まらなくて困ったくらいだよ。
時間があるときにはスクラップ・アンド・ビルドのほうも読んでみようかな。ハハン。

赤 松 利 市「藻 屑 蟹」を 読 ん で。

ヤアヤア、随分と久しぶりだね。
前回の読書感想を書いてから丸一ヶ月も経ってしまっているのだから、そりゃあ、まあ、久しぶりのはずだ。それとも、初めまして、かな。
イヤア、本当は月に四・五冊くらいは読みたいんだけれど……恥ずかしながらも生憎、時間も銭も持ち合わせが少ないものでね……ハハハ。中々どうして、人生というのは上手くいかないものだよ、全くさ。
というわけで、そんな″貧乏暇なし″という慣用句がピッタリの私が今回出会ったのは、電子書籍版が期間限定で無料配信されている短篇小説『藻屑蟹』だ。ウッカリするとモズクガニと言いそうになってしまうタイトル……というか、生き物だよね、モクズガニ
『第一回大藪春彦賞新人賞受賞 六十二歳 住所不定無職 鮮烈なるデビュー』という、かなりパンチの効いたサムネイルに目を惹かれて迷わずも思わずも、ともかくすぐにダウンロードを実行したんだけれど……いやあ、凄かった。
REAL of REALと言うか、″自分とは違う視点から観る現実″と言うか、ひとつの事柄であっても、見えかた、見かたは様々だということを、改めて思い知らされる小説だった。
短篇小説だからね、頁数・文字数自体は非常に少なくて、活字を読み慣れている人ならチョットした休憩時間に読み終えられるのでは? と思えるくらいのものだったんだけれど(速読が苦手な私は一時間くらいかかった)、その短い文章の中に描かれた物語は、長々と語られる回りくどい物語なんかよりも、よっぽどリアルで、酷くショッキングなものだった。

『3.11』と言えば、おそらく気付かない人はいないだろう。
そう、舞台は福島。あの日、あの時、東日本大震災で一号機が爆発した映像を主人公の男がテレビで目撃するシーンから物語は始まる。
「何かが変わるかもしれない」
夢も希望も将来もない平凡な男は思った。
しかし、彼を待っていたのは何も変わらない日常と、町に流れ込んできた除染作業員。そして、″私達は被災者ですよ″と幅を利かせ始める避難民達だった。
それから六年の時が経った。
『纏まった金を手にしたい』と思いながらも変わらず平凡な日常を送っていた男のもとに友人・純也から大きな儲け話が舞い込んできた。その内容とは──と、マア、あらすじはこんな感じなんだけれども……舞台・テーマがこんな話なだけに、その重量感は格別なわけだよ。人体の、心の、デリケートな部分を細く鋭い針でツンツンと苛められているような気分だったね、私は。
知っていながら目を背け続けて来た現実や、愚かしい人間の欲。そんなものをマザマザと見せつけられているようで、思わず携帯画面から目を逸らしたくなったものだ。
正直に言うと、こんな話を書いていいものなのだろうか、誰もがタブーとして触れずにきた事を、こんな形でギュウと鷲掴みにしてしまっていいものなのだろうか……と思った。
一読者が心配してしまうほどに露骨な被害者(被災者)軽視的表現や、フェミニスト様達が聴いたら顔を真っ赤にしてアアダコウダと言ってきそうな話もあった……けれど、これはリアルなんだよね。現実的な空想だ。こんな想いを持っている人、こんな価値観を持っている人……それらは、確かに、居るのだろう。目につかないだけで。身を潜めているだけで、さ。
そんな目につかない所に潜んでいる人間の心の暗い部分を浮き彫りにした、そしてその心の闇からどう這い上がるか、そんなものを容赦なく、また、淡々と描いた物語だった。

そして、その内容も然る事ながら……と言うか、内容よりも、この物語を住所不定無職六十二歳の男性が自由空間(ネットカフェ)で執筆していたというのが、猛烈に強烈だし素直に驚愕でね……その覚悟、その意志の強さに、震えすら起こる。筆力とは何なのか、そんなものを教えられた気がしたね。

赤松氏の受賞の言葉。
「日銭仕事に執筆の時間を犠牲にするくらいなら、わたしは何の躊躇もなく路上に帰ります。その覚悟を受賞の言葉としたい。(一部抜粋)」

もうね、これには一発で惚れちまったよ。腹をキメた人間は強い。

とにかく、オススメだ。
前述の通り、いまなら電子書籍版は無料で読めるし、小説としてはとても読みやすかったので、是非一度、気になったかたは読んでみて欲しい。

……私は人生を捧げられるほどのナニカ、まだ見つからないなあ。

以上。

内藤了『鬼の蔵 よろず建物因縁帖』を読んで。

イヤア、こんな寒い時期にホラー小説なんて読むものではないね……全身の毛穴という毛穴が粟立っちゃって、寒くて寒くて仕方がなかったよ。今もこの記事を書きながら冷気と霊気にブルブル震えているわけだけれど……しかし、ズットそうしている訳にもいかないのだ。早くコレを書き終え、少しでも多く睡眠時間を取らないとまた寝坊癖が再発して遅刻を繰り返してしまう……ので、とりあえずは、何かが見えてしまわないよう出来る限り窓やら襖やら、または鏡や天井に目を向けない事を意識しつつ必死で携帯画面と睨めっこをしながら、簡単に感想を書いて行くことにしよう。

──さて、今回読んだ『鬼の蔵』は、いわゆる民俗学ホラーだ。うん、実は大好物でね。あらすじを見た瞬間、脳内レーダーにビビビッと電波が来て即購入に至ったわけなんだけれど、これは大正解だった。
古くから、『お盆の最中に隠れ鬼をしてはいけない』という言い伝えが残っている閉ざされた小さな山村内での怪異譚・因縁を、主人公であるところの広告代理店勤務キャリアウーマン春菜(はな)ちゃんと、曳き屋(曳き家)師の仙龍という男が解き放ち、国の重要文化財、兼、道の駅にしていくという流れなんだけども……遊び半分で禁忌に触れて『オクラサマ』と呼ばれる“ナニカ”の祟りに遭ってしまった兄妹の妹方が語るそのプロローグが、まあ怖いの何のって……冒頭からズブズブと惹き込まれてしまって、気が付いたら読み終わっちゃっていたよ。ハハハ。合計二三時間くらいだったんじゃあないかな。
ページ数も多くなくて、文体も非常に読みやすい。リズムが崩れない上に登場人物がみんな個性的で可愛らしく、しっかりとキャラが立っている。会話の掛け合いなんて小気味のいいもので、コメディーホラーと言ってしまっても良いくらい。
だからだと思うんだけれど、なんだか漫画を読んでいるような気分だった……と言うとこれは聞く人によっては「失礼だ!」なんて言ってくるかな。ハハン。そのくらい読みやすくて面白かったという話だよ。褒めているんだよ、本当にね。
まあ、欲を言うなら、もう少しホラー要素を強く盛りんでくれても良かったかなとは思ったけれども……しかし基本的にホラーとは悲劇である。
怪異が産まれるのには必ず理由があり、その理由は大抵の場合が悲劇的なもので、清算しきれなかった哀しい過去だったり、募り募った怨みの念だったりと、そんなやり切れない負のエネルギーが形となってオバケや妖怪、祟り神などを産む。そして、この『鬼の蔵』も、例によってそんな悲劇を描いた作品で、大昔のシキタリや風習が大きな原因・因縁となっているんだけれど……この作品はその悲劇の要素が強すぎたと言うのかな。怖いと言うよりも……といったような。いや、怖いんだけれどもね。特に最初は。
おどろおどろしかった空間も、事実を知れば見えかたが変わる。という事だろうさ。

少し話が逸れるけれど、隠れ鬼にしても、かごめかごめにしても、昔からある子供の遊びって、どこか儀式めいているというか……降霊術だと思えば思えなくない形式のものが多いのは何故なんだろうね。やっぱり民族的な風習だったりが関係しているのかな、なんて勘繰ってみたりね。ハハ。

……しかし、なんだろう。こういう民俗学的なものを見ると、現代ではおよそ考えられないような事が、昔は当たり前のように行われていた事実に驚愕せざるを得ないよね。
それを知った上で、今をどう生きるか。未来にどう繋げていくか。
そんな事を考えてみるのも、たまには悪くないかなって思ったよ。
嘘だけど。

──どうやら、この小説は『よろず建物因縁帖』というシリーズの第一作目らしく、残りのシリーズも続けて読んでみようと思う。
間にロマンス的展開もありそうだから、甘味もあってバランスいいよね。ハハハ。
面白かったー。

笙野頼子『なにもしてない』を読んで。


どうやら重い話というのは、軽く語れば語るほど重くなるらしい。

たしか購入自体は一月の末頃だっただろう。金欠にも関わらずタイトルに惹かれ衝動買いした一冊だったが、どうにも文章のリズムが自分の歯車に噛み合わずに読んでは閉じ、閉じては読み……といったような具合で、読むのに随分と時間がかかってしまった。
そして、かかってしまった時間分だけの満足感があったのかと訊かれれば、咳払いをしいしい首を傾げざるを得なかったと言うのが正直な所だ。

飄々とした態度で語られる″ナニモシテナイワタシ″の鬱々しい心象風景。
「お前はなにもしていない」と社会から糾弾されてしまう″ナニカシテイルツモリダッタ″自己への批判精神を、更に妄想の世界で嘲笑しながら、ドンドン社会と自分の距離を引き離していく。そして、それが罪であるかのように悪化していく接触性湿疹。
空虚の部屋に引き篭もり、ユラユラふわふわと漂っては萎み、苔のようにジッと何かを考えている。
どこか、自分にもそういった引き篭もり気質のようなものがある気がして、同じく現在進行形で罹っている原因不明の湿疹が生み出したササクレのような手の皮を剥いては考え、クリームを塗り直したりしていたのは……いやはや、笑えない話だ。
最終的に″ナニモシテナイワタシ″は皮膚科へ行くことで僅かながらも外界との繋がりを取り戻し少しずつ社会復帰していくわけだが……なんだろう。読みながらズット思っていたのは『よくこの人、自殺しないで生きてこれたなあ』という感想だった。
最後までそれしかなかったと言ってもいい。あるとすれば″前衛的な鬱のススメ″を読んでいるようだったという話くらいだ。
それほどに、どこまでも軽々しく、果てしなく重々しい小説だった。

文学賞三冠達成を成し遂げている笙野頼子氏の表現力は、それはもう素敵に素晴らしいものだった。
読書中に何度も溜息を吐いては感心したが、このひとのカタカナの使いかたというか……使いどころがあまりにも苦手すぎた。その一文を見るだけでゲンナリしてしまったのは事実だ。単純に合わなかったのだろう。
ここで、自分に合わないものは良くないものだなんて事を言うつもりはないけれど、少なくとも、自分の友人にオススメしようとは思えなかった。
併録されている『イセ市ハルチ』についても、上と似たような感想しか抱けなかったのでワザワザと書くことはないだろうと思う。
嫌いと言えるほどまで彼女の事を知らないにしても、暫くはこの作家さんの本を読むことはないだろう。
また、少し大人になったら読み返してみよう。